2024/11/22 佐野代表
お疲れ様、そして有難う! 他人は知らず、私にとっては生涯最高の演奏会でした。ミスも一杯しました。でも、仲間がカバーしてくれました。
結果、今日来ていた「ユタカ押し」のおばさん軍団、12名の評判も「今まで聴いた中で一番良かった」と言うものでした。この歳に成ってこんな感激を味わえるなんて「貴男幸せ者よ」と家内が言ってくれています。
来てくれたおばさん軍団の第一声は「凄い、みんな最後まで立ってた」でした。不肖小生も歯を食いしばって最後まで立ってました。 これからの人生の励みに致します。(2年後も立って歌うぞ!)
まあ、肩の力を抜いて2年後まで優雅に生きて行きましょう。 宜しく御指導のほどお願いです。 佐野 裕
2023/10/10 齋藤淳さん
懇親会帰りの電車で、演奏した2曲のことを何となく考えていました。
「海と涙と私と」
前奏は初めに変ロ長調の主和音が響き、直ぐに♭、♮を多用し調性が不安定です。若者の心が寂しさ、悲しみ、不安感に悩む心の揺れを表しているのでしょうか?
前奏に続いて歌が始まるが変ロ長調ではなくト短調、気持ちが落ち着かず不安を心にいだいたまま「月夜の海に来てみたが」と歌い始めます。12小節3、4拍目のT1.2のソの音は非常に不安を感じ、更にB1.2のファの音で更に不安感が強められます。
ただ、いつも変わらぬ海を眺めて癒され、B1が「少し、少し」を1拍づつ遅れて歌い、確かめるように徐々に心がほぐれてゆく様を表しているようです。
最後に、ユニゾンで♭シを2小節のばし、涙が少しづつかわいていく様を表しているようです。前奏と同じ後奏が演奏され、最後に変ロ長調の主和音が鳴り響き、気持ちがホッとします。
「夢見たものは」
「夢みた」の旋律を階名(移動ド)で歌うとソドレミ。このソドレミは多くの楽曲に使われています。
例えば、山田耕筰の「この道」「赤とんぼ」、團伊玖磨の「花の街」、秋川雅史の歌う「千の風になって」など。レナード・バーンスタインがヒット曲を作りたいならソドレミを使えと言ったとか言わないとか・・・NHKテレビでもこれをネタにした放送がありました。
この曲のメロディーは「ソドレミ」と連続する「音階」を多用しています。特に20小節目まではずっと音階が上がったり下がったりしています。
前奏は「告げてうたつてゐるのは」の旋律。告げているのは青い小鳥。何を告げているのでしょうか?
曲の最後に全パートで揃って「と」と歌います。ここの和音は男声合唱で一番美しく響く音の配置になってます。そして最後にピアノだけが動きますが、「アーメン終止」になっており、讚美歌のように聞こえます。
長々と申し訳ありません。普段はあまりこのようなことを考えません。コーラス大会の後、何となく気分が良かったのでしょう。
T2 齋藤淳
2023/5/25 伊藤さん
「浜辺の歌」の現代語訳です。
歌の1番は、朝の情景で、明るく広々とした感じが、2番は、夕方から夜の情景で、
月や星が見えて、波がよせては、返している、そんな情景をイメージしながら、
歌えれば、と思います。
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・「浜辺の歌」の現代語訳
(https://honda-n2.com/shoka-hamabenouta より引用)
一、
早朝に、浜辺をぶらぶらと歩いていると、
昔のことが、しぜんに思い出されることだ。
風の音よ、雲のありさまよ、
うちよせる波も、貝の色も。
二、
夕方に、浜辺をぐるぐると歩いていると、
昔、愛したあの人のことが、しぜんに思い出されることだ。
うちよせる波よ、かえす波よ、
月の色も、星の光も。
・あした……朝。
・さまよふ(う)……1.うろうろする。2.ぶらぶら歩きする。
・しのぶ……遠い人、故人などを思慕する。
・ゆふ(う)べ……夕方。
・もとほ(お)る……(ぐるぐると一つの中心を)まわる。
・ひと……意中の人物。夫。恋人。
・かげ……光。
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以上
2023/4/26 伊藤さん
先週の世界シニア合唱祭、お疲れ様でした。いただいた講評も比較的好評をいただけました。初出場に対するリップサービスが半分以上かな、とは思います。
三縄様から、「言葉を伝えようとしてください」と
寺嶋様からは「演技なさってみては」とアドバイスをいただきました。
歌を歌くことは、詩(歌詞)の朗読に音符を付けて表現するもの、と言えると思います。
詩を朗読する時、言葉(単語)をしっかり発音しても、棒読みしたのでは、伝わらないですよね。内容や情景、感情に合わせて強弱をつけたり、声色(楽しそうな声や悲しそうな声など)を変えて、演劇のように表現すると思います。
このためには、歌詩の意味や情景等を共有しておくことが大事かと思います。
みなさんご存じのこととは思いますが、「待ちぼうけ」の意味を以下に引用しておきます。
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「待ちぼうけ」歌詞の意味
(https://douyou-shouka.himawari-song.com/machibouke/ より抜粋)
待ってもなかなか来ない
ある日一生懸命に畑仕事をしていたら
そこにウサギが慌てて出てきて
木の根っこにぶつかり転んだ
待ってもなかなか来ない
いいぞ!これからは寝て待ってみよう
待っていれば獲物は慌てて出てくるだろう
ウサギよ、木の根にぶつかっておくれ
待ってもなかなか来ない
昨日はクワを持って畑仕事をしていたが
今日はほおづえをついて 日向ぼっこだ
いい切り株だよ、この木の根は
待ってもなかなか来ない
今日はずっと待ってばかり
明日は森の外に行かねばならない
ウサギはまだ来ないのか 木の根っこ
待ってもなかなか来ない
もともと綺麗なキビの畑だったのに
今は荒れてしまって 草がボーボーになってしまった
北風が寒いなあ 木の根っこよ
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1番2番(P60-P61)は、ラッキーなことが起きてワクワクした気持ちの声で、
特に「しめたこれから、ねてまとか」を強調するといいのでは
3番4番(P62-P63)は、法杖ついて、ひなたぼっこで、 怠惰な雰囲気の声で、
5番は、物語の最後のナレーションのように歌うと、
聞いている人に、より一層、曲のストーリーが伝えられたのではないかと、思います。
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27日の練習から、「早春賦」の練習が始まりますが、歌詞の現代語訳を以下に引用 しておきます。歌う時に気持ちを合わせて歌う一助になればと思います。
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「早春賦」 歌詞の意味・現代語訳
(https://www.worldfolksong.com/songbook/japan/soushun.htm より引用)
春とは名ばかりの風の寒さ
谷のウグイスは
歌おうと(鳴こうと)するが
まだその時ではないと
声も出さない
氷は解け 葦(あし)は芽吹く
もう春が来たかと思ったが あいにく
今日も昨日も雪模様だ
春だと聞かなければ
知らなかったのに
(気づかなかったのに)
聞いてしまったから気がはやる
(そわそわして落ち着かない)
この気持ちをどうしたらいいのか
今頃の時期は
作詞の吉丸一昌は、大正の初期に長野県安曇野を訪れ、穂高町あたりの雪解け
風景に感銘を受けて「早春賦」の詩を書き上げたとされている。
2022/9/7 中村勉様からのお手紙
拝啓、9月に入り少し涼しくなりました。皆様もお元気に男声合唱の練習で頑張られていると思います。
先日、「月光とピエロ」について何か思い出があれば投稿してくれとのご依頼がありましたので、わたくしの思いを述べたいと思います。
私の大学は福岡の西南学院大学で、4年間同校のグリークラブに所属していました。当時は男声合唱が華々しい時代でしたので、グリークラブのメンバーになることがとても誇りでした。1年生からランキンチャペルホール(大学の講堂)のステージで合唱の練習ばかりを楽しんでいました。おかげさまで朝日新聞主催の全国合唱コンクールに4年間連続で出場し、第3位の地位を保つことができました。英語の曲が得意でしたので、ニグロスピリチャルなどが評価されました。
日本の曲の中でも「月光とピエロ」はグリークラブの十八番の曲で各演奏会で歌いました。その独特の曲想は素晴らしく、皆様より大喝采をいただきました。
堀口大学作詩、清水修作曲の名曲だけに貫禄もあり、そのハーモニーの美しさは実に心を打つものであります。少し難しいところもあり、皆様も頑張られていると思いますが、練習を続けてみてください。合唱はみんなでバランスよく歌って初めて良い結果が出るものです。ハイ&ローの方々も新しいハーモニーを作り上げる気概で、暗譜するまで練習してください。
勝手なことを書いてしまいましたが、先輩のアドバイスと思って読んでください。
11月の演奏会は是非拝聴したと思います。皆様のご成功を心よりお祈りいたします。
敬具
ハイ&ロー 元バリトン 中村勉
2022/6/26 斉藤さん
小野寺康臣先生の思い出
小野寺康臣先生は2001年高井戸混声の男声13名で発足した男声合唱(2002年にハイ&
ローと命名)の初代指揮者であり、以後ハイ&ローで唄う殆どすべての男声合唱曲の編曲者です。
1.小澤征爾氏と同級生
小野寺先生は桐朋音大1期生で、同級生の男子は先生と、後に世界の指揮者となる
小澤征爾氏の二人だけであった(先生は作曲科、小澤氏は指揮科)。
当時小澤氏は学生でありながら合唱指導でつとに有名で、幾多の学校や企業から指導の依頼が多くあり、小澤氏の都合がつかないときには、指導者の斎藤秀雄教授から「小野寺、小澤の代わりにお前行って教えて来い」との命令で、小澤征爾の代役を務めていた由。
小野寺先生は小澤征爾氏のことを「小澤君、小澤君・・・・」と親しげに呼んでいて、殆ど海外在住の小澤氏が日本に帰ってくると年に一度は同窓会を行っていて「今度、小澤君と会うんだ」と楽しげに話していました。
2. 「メサイア」(ヘンデル)の演奏
私(斉藤)はハイ&ローにおられた松崎正吉さん(故人)の紹介で宗教曲を主に唄うSGS合唱団(下北沢周辺の)に2000年頃入りましたが、どういう風の吹き回しか翌年には小野寺先生も入ってこられました(先生も下北沢在住)。先生は当時は軽音楽系、ホテルロビーでのピアノ弾き語り等を主に行っておられ、「久しぶりに宗教曲を唄いたくなった」 と言っておられました。
このSGS合唱団の指揮者が、米軍キャンプの合唱団も指導されている関係で、年末の
クリスマス時期には毎年座間キャンプ内の教会ホールでヘンデルの「メサイア」の全曲演
奏を行っていて、私共も5年ほど唄いに行きました。先生も私と同じテノールで、他のテノ
ールは全員米人でした。小野寺先生は絶対音感をお持ちですので、隣りで唄っていると本当に安心して唄うことができました。
T2 斉藤孝之(記)
2022/6/9 朝倉さん
三つの傷
私の身体には三つの傷がある。その一つは先日手術した肘の傷跡だ。6センチ位い切られ、10針縫われた。手術は局部麻酔で痛くはなかった。のちの経過もよく何ともなかった。手術になるまでの何日かいろいろな検査があった。レントゲンは2回、血を抜かれ、心電図、筋電図・・・・。この筋電図の検査が一番痛かった。妻 節子は「あなたパンツは新しいものを履いていってね」といった。キンというのでどこか別のところと間違っているらしい。筋肉に電気を流して調べるのだが、徐々に電気が強くなると悲鳴を上げるので妻は「やっぱり・・・」と思っているのに違いない。その痛いことと言ったら注射の何倍も痛い。妻の思っている所なら悶絶していただろう。筋肉の数か所を調べるのだが15分が45分くらいに感じた。担当医はそのあと「痛かったでしょう」といって、私の歳を考えたのか、手のしびれだけなら手術しないで置く方もいるという。どうせもうすぐ死ぬのだからと言外で云っているように聴こえる。私はまだ先のことを考えると手術をすることを選んだ。
二つ目の傷は、新婚のころ手術したソケイ部ヘルニア、俗称「脱腸」というアレである。赤ん坊のころに普通は治ってしまうのだが、脱腸帯という特殊な治具を嫌がり泣くので、母ははずしてしまった。そのまま放っておかれ、戦争などあったりして家族はそのことを忘れてしまった。少年時代、青年時代、私は必死でそれを他人に気づかれない様下腹に力を入れたり、重いものを持つことは極力避けて発作が起きないように努めた。発作というのは、ご想像のとおり局部に腸の一部が下がってきて袋(?)を充満させる。中学生の頃、弟が友達の中で何かを自慢しあう話の中で自慢することに困ったのか「うちの兄ちゃんはキンタマがでかいぞ!」と言っているのを漏れ聴いて、そのあと弟をぶんなぐった。泣きながらなぐる私を弟は不思議に思っただろう。常に下腹に力を入れていたので、腹筋は強くなり腕力は弱いのに腹筋ではだれにも負けなかった。
妻と結婚して何事もなく暮らしていたが、ある時妻にバレた。油断したのと、部活動指導の疲れで発作が起き、居間の片隅で局部を押さえ、腸を元の位置に戻す秘術を行っている所を見られてしまった。「何故もっと早く私にいってくれなかったの」という妻の問いに私はこう答えるしかなかった。「あのう・・『私ダッチョウですけど結婚してください』と云ったら結婚してくれたのかい」
妻は一族に知らせ、私の脱腸は天地明白となり、妻の祖母にあたる人は元看護士だったので、「今のうちに手術しないと年取ってからだとひどい事になる」と私を脅した。カントンというのになると腸の大部分が下がり、局部は大きなスイカのようにハレ上がり、そうなるとパンツもはけず毛布などで覆うが、担架で運ばれる際に急いでいるため必ずずり落ちる。そんなこと構っていると命が危ないのだ。私はその光景を思い描くだけで、ただちに手術を決心した。
三つ目の傷は小学校の時、家がまだバラックという時代、二階建てだが階段はなくハシゴだった。そのハシゴから私は落ちた。下に焼け跡から掘り出してきたチャワンや皿が置いてあった。その上に顔から先に行ったから、私は鼻の下に深い傷を負った。今なら病院で縫うだろうが、近所のオバアさんがヨードチンキを塗った上に、新聞紙を真っ黒に焼いてそれで血止めをして、その上に脱脂綿をかぶせてバンソウコでバツ印にして鼻の下に貼った。傷口がふさがるまで私はそのままで学校に通った。白いヒゲをつけたように見えるため皆は私に「ジジイ」というあだ名をつけた。傷が治って綿をはずすと傷口は黒い入れ墨になり「人」とも「ペケ」とも読める字になった。私の祖母は私に「お前は一生ヒゲは生えないだろう」といった。
鼻の下に妙な入れ墨をしたまま私は青春時代を送った。けんかなどになると決まって相手は私に向かって鼻の下に✕印をかいて私をからかった。そのころから私は何事も気にしないでいるという、今ならさだめし「鈍感主義」とでも言われる性質になった。通学に雨の日はゴザボウシをかぶって通っても、修学旅行の大きなツギの当たったズボンをはいていっても、長じて絵のことを腐れても、古い家に住んでいても、軽トラで学校に行っても、人から何を言われても平気で居られる人間になった。
人には何らかの傷がある。心の中にも深い傷を負った人も居るでしょう。その傷をどう受け止めるかは人それぞれです。いずれにしても、それを人生の中でどう生かしていくことができるかできないかは、その人にかかっていると思うのです。
ベース 朝倉精道
2022/05/29 林さん
私と「心の四季」
私は「心の四季」の混声版で2回、バスパートでステージに立っています。1回は高混の一部と他の合唱団の有志による、ウイーン訪問交流コンサート合唱団に加わった時で、私は病気のため旅行は断念しましたが、壮行会に相当する国内コンサートには参加しました。またこの2年後に行われた高混の定期演奏会でも「心の四季」を歌いました。いずれも指揮は鹿内先生、ピアノは三谷先生でした。
合唱組曲「心の四季」は日本の合唱組曲の中でも極め付きの名曲ですが、第1曲「風が」、第6曲「雪の日に」、第7曲「真昼の星」は特に印象深いものです。「風が」はこの組曲を代表するもので、まさに四季を描いています。美しいメロディーと見事な構成で心に深く刻まれました。「雪の日に」はウイーン訪問交流�コンサート合唱団の練習で、始めて全員で通して歌った時に、鹿内先生から、私の歌は人生を感じさせるとコメントがありました。私は歌詞に対する自分の解釈に感情移入をしてしまう傾向があり、この時は少々やりすぎたと反省しました。 「真昼の星」は激しい第6曲の後に静かに合唱組曲を閉じる役割を持っていますが、曲の後半に現れるピアンの3連音符は深く心に残ります。指揮に合わせて歌っているうちに、ふとピアノに耳を傾けると、ピアノが優しく支えてくれている感じがして、幸せな気分になります。
ハイ&ローの「心の四季」はこれから仕上げに入りますが、コロナに妨げられることなく順調に進むことを祈ります。そして定演の時には高混の仲間と、鹿内先生にぜひ聴いていただきたいと思います。
2022.5.28
ハイ&ロー バリトン 林
2021/11/26 田中
定演第3ステージで、高田三郎の名曲「心の四季」に取り組むことになりました。
もともとは混声合唱組曲として作られた曲ですが、その後男声合唱に編曲されたものです。
高田三郎「心の四季」の作品概要を紹介したリンクが見つかりました。
「心の四季」が作られた背景と作詞家吉野弘との関係について述べられています。
また、作詞家吉野弘についての考察もありますので、ご一読ください。
2020/3/26 林さん
本日はコーラスでの集団感染が始めて報じられており、H&L の練習再開に影を落としています。
とにかく暇で仕方がないので、「月光とピエロ」と「岬の墓」の音取りを済ませました。
音源の all に合わせて歌うのは結構楽しいです。
2019/12/22 林さん
「忘れな草」のu-tube 検索では、PAVAROTTI のものがまず出てきまして、これは最高です。ただ発音の手本という意味では、名歌手FERRUCCIO TAGLIAVINI のものが身近に感じられて、良いと思います。
AL DI LA のCDにつけられていた解説の一部をご紹介いたします。
1961年のサン・レモ音楽祭の優勝曲がこの曲で、ベティ・クルティスとルチアーノ・タヨーリが歌いました。翌62年にトロイ・ドナヒューとスザンヌ・プレシェットが主演したアメリカ映画「恋愛専科」の主題歌となり、エミリオ・ペリコーリがナイトクラブのシーンで歌って世界的なヒットとなりました。上記のシーンはu-tube に載っていますので、ご覧になった方も多いと思います。
2019/12/20 石村さん
「月光とピエロ」にまつわる話題は2018.8.2付の井戸端会議で取り上げていますが、その時のリンク先は今は終了閉鎖されております。 同じストーリーには下のリンクから行けます。 いよいよこの名曲に取り組むとなりましたので,皆さんの興味もぐっと増したのではないでしょうか。
http://www.asoshiranui.net/pierrot/
「モナリザ盗難事件」と世界最初の合唱組曲の成立 という題名です。(田中)
2019/12/11 林さん
AL DI LA の演奏をU-tube で検索したところ、Emilio Percoli と Luciano Tajori
のものが出てきました。何れも良いものなので、発音の勉強に聴いてみることをおすすめします。
林先生のご推薦のサイトは下記と思われます。 とても発音の参考になり、後者には歌詞の英訳もついています。 (石村)
https://www.youtube.com/watch?v=BTyqn8YqYOg (Luciano Tajoli)
https://www.youtube.com/watch?v=sPi1XHBTu_M (Emilio Percoli)
2019/3/16 古河さん 行々子(よしきり)
だんだん陽気がよくなったのに惹かれて井の頭公園を散歩していたら、池の西北隅に野口雨情の歌碑を見つけました。
「鳴いてさわいで 日の暮れ頃は
葦(よし)に行々子(よしきり) はなりゃせぬ」
と書かれたまだ新しい石碑です。
公園事務所に立ち寄って、ヨシキリはいますかと聞いてみました。女性事務員が親切にいろいろ資料を探してくれましたが、ヨシキリの情報は見当たりません。年配の男性が言うには、昔はこの池にも葦があちらこちらに茂っていたが今はほとんどなくなったとのこと。ヨシキリもそれにつれて立ち退いたのでしょうか。
なお、歌碑は雨情が昭和11年に書いた「井の頭音頭」の一節で当時彼はこの辺に住んでいたそうです。
池があってそこに葦が生えていたらヨシキリがいるかもしれないと見当をつけて、今度は善福寺公園に散歩に出かけました。 ここも私の散歩エリアで葦がたくさん生えています。
例によって公園事務所で女性事務員に訊きました。
彼女はこの辺のバードウオッチングのベテランと知り合いだというので問い合わせを頼んだところ、すぐ翌日に返事があり、「ヨシキリはいるよ。ぎょぎょし、ぎょぎょしと鳴いているよ」とのこと。ただしヨシキリは渡り鳥で夏(5月ごろ)にならないと帰って来ないそうです。
健康のためにもこの夏は散歩の回数を増やして、ヨシキリの生の声を聴きたいと思っています。
2018/12/29 石村さん
「島唄」の背景について
12月27日に音取りをほぼ終えた「島唄」、いいですね~
でもあの歌詞にはいろんな意味が込められていたことを皆様はご存知でしょうか。
下のリンクにある解説をご覧になれば暗喩に満ちたあの歌の背景が浮かび上がることと思います。
歌っていても何かが胸に迫るような・・・ (B2 石村)
https://blog.goo.ne.jp/koube-69/e/d21e5115d6ecb5ba25be164c0d4cdb9b
2018/11/23 石村さん
自分は曲の暗譜に際しては歌詞を優先することにしていますが、そのためには元の歌・詩に謳われた情景や物語を理解してイメージするのが有効だと思っています。
昨日から音取りが始まった「柳河」についても、ノスカイヤとかBANKOというような耳慣れない言葉が出てきますので、この曲の背景を調べて見た結果を添付ページに掲載します。
皆様のご参考になれば幸いです。
2018/08/24 古河さん
8月2日の石村さんのご投稿を参考にして、清水重道の詩「あづまやの」の大意を現代語に訳しました。見当違いの誤訳かも知れず、諸賢の御叱正を乞う次第です。
* * * * * * * * * *
たずね当てたあずまやの廂の下で雨だれに打たれながら、戸口を開けてくれないかと呼びかけると、かすがいも鍵もかけてはないからどうぞお入りなさいと返事がくる。
昔の歌にあるそんな二人のような仲だったらなあ……。
それに比べて私の場合は、五月雨に濡れながら訪ねてきたのに、扉を閉ざしてあなたはいない。ああ、なんとあなたは薄情なひとなのだろう!
2018/08/02 石村さん
昨日(8月2日)初めての音取りをした「あづまやの」について、歌詞の意味を解説する記事がネットにありましたのでご紹介したいと思います。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~lyricssongs/TEXT/S4768.htm
皆さんにとって珍しいのではないかと思えるのが、堀口大学「月光とピエロ」にまつわるお話です。
http://www.geocities.jp/flowercities/pierrot/
「モナリザ盗難事件」と世界最初の合唱組曲の成立 という題名です。(田中)
2018/02/10 石村さん
「北秋の」の歌詞の内容を知りたくて少しリサーチをしてみました。
下記、おもしろい発見がありましたので、シェアしたいと思います。
①詩の現代語訳の一例:
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1233176117
②但し後半に出てくる「みつみつし」の解釈に異説:ここは「みずみずし(若く新鮮な)」と理解すべしというもの:
この歌詞の気恥ずかしいまでの抒情を歌い上げようではありませんか。
先日神代植物園でナツツバキ(シャラ)の花に遭遇しました。
ご存知のように先日東男協で発表した組曲「沙羅」の沙羅は、釈尊の沙羅双樹で有名な高木でインドなどで3月頃淡黄色小花を咲かします。我が国 で言う沙羅は「ナツツバキ・シャラ」のことで夏にご覧のような白い花をつけます。
この付近の山地でもよく見かける樹木で樹皮に特徴があり覚え易い木です。
シャラのほかにも「花の写真集」として添付ページに掲載してあります。